モディとジャンヌの物語は、

店の定休日と祝日が重なった今日、六本木の『国立新美術館』
で開催されている「モディリアーニ展」に行って来ました。


この『国立新美術館』は毎週火曜日が閉館日、
以前、そうとは知らずに火曜日に訪ねて
残念な思いをしたことがあるのですが、
今日は祝日とあって、開館日となっていたのでした。

今回は初期の『カリアティッド』の作品群が展示され
彫刻家から画家へと転身していったモディリアーニの
試行錯誤の跡が見えてくるような気がします。

数多くの作品を見ていると、モディリアーニやピカソが
生きていた時代のパリのモダンな雰囲気が、その髪型や
洋服、アクセサリーから感じられます。

モディリアーニの描く肖像画は、アーモンド型の目に長い首という印象で、
どれも同じように感じていたけれど、それぞれの個性がこんなにあったんだなぁ、
と今回あらためて気づいたのでした。

それにしてもやはり考えてしまうのは、モディリアーニの死の二日後に、
後を追うように自殺してしまったジャンヌの事。


年表を見てみると二人が共に生きたのは1917年に出会い、
1920年に亡くなるまでの僅かな年月だ。
ジャンヌ・エビュテルヌとアメデオ・モディリアーニの物語は
映画にもなっているけれど、

彼の二人目の子供を妊娠したまま身を投げたジャンヌの心は、
何を求めていたのだろうか…

秘蔵おバカ記事から見る成長の度合い

ヤフーブログには非公開っていう設定がありますね、
実はこのブログ、非公開記事あり、です。
内緒というよりは、書いてみたけど、あまりにもくだらない
とか、
違う場所で書いたものの保存とか、
そんな感じで非公開扱い。

消してしまえばいいんだけど、くだらなすぎる文章も
その時の自分が書いたもの。
過去の自分の考え方が表れているのだと思うので、
自分だけの雑記帳として保存しています。

過去の自分が、少し先の未来を想像しながら書いた言葉を、
今の自分が読む。
「ばっかじゃねーの、このオッサン!」
などと自分の書いた文章に、つっこみを入れらるようになったら、
少しは自分も成長している証拠かも ?

そんなことを思いつつ、読み返すお馬鹿な文章のなかに
今でも同じように思うことを見つけたりで、

つまりは成長してないってことか…

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

「おととい来やがれ!」を考える   (2006/10/3)
「おととい来やがれ、この 、スットコドッコイ!」

安っぽい時代劇くらいですよね、
こんなセリフ、普段聞いた事はありませんが。
でも、なんだか粋じゃあないですか、好きなんだなぁ こういうの。

おととい来い、と言うことは二度と来るな、ということだと思うのですが、
もし、
もしもですよ、、一昨日に戻って、会いに行くことが出来たなら、
どうなるか。

初対面で、第一印象苦手なタイプと思った相手でも、
急に「あれ?前にどこかでお会いしましたっけ?」となる。
苦手意識は無くなり、親近感すら湧いて来る。
もしも、一昨日に行けたなら苦手な相手とも仲良く出来るのだ。

(ここまで書いていて、たぶん伝わらないだろうなぁと思っている、)
けど、続く。

実際に過去へ戻ることは出来ない、が、
共感を呼ぶ過去を、演出することは出来る。

少し前に 昭和30年代の雰囲気を再現したテーマパークが
話題になった、あれはまさに、共感を演出して成功した良い例だろう。
テーマパークの駄菓子屋にオバアちゃんが座っていたとしても、
そのオバアちゃんは自分が子供の頃にいたお婆ちゃんとは別人だ、
それでも親しげに話かけるだろう。

自分の生きて来た時代を知っている、それだけで初対面の緊張感は少なくなる。
これが遠い昔ではなく、つい最近の、一昨日位の共感だったらどうだろう、
初対面ではないような感覚になるかもしれない。
この「初対面のような気がしませんね~」を
自分の仕事に落とし込めないかと、ある意味 ニッチな事を
考えているのですよ、「おととい来やがれ!」から・・・

ブログというものも、
会ったことの無い人と文字で会話をしているようなもの、
ブログの中の”過去”も読める、
もしかしたら
お互いの「おととい」に来ちゃっているのかも、しれないですね。

ねこさん。

ねこさんです。
自由が丘の熊野神社あたりに住んでいる
地域ねこさんです。


ちょっとアイラインがはみだして、
クレオパトラのような


歌舞伎役者のような、

ねこ、さんです。

あら、ご機嫌斜め、ですか。

あ、
ごきげんよう。

シリアルは悲しき食べ物なのか、

「 アンタ、ちゃんとご飯たべてんのかい ?」

実家から山菜が届いた日に、
お約束の『届いたコール』をかけた際の、母親の言葉。

どうやら、
「東京に住む”道楽息子”は、悲惨な食生活を送っているらしい」
そんな噂が流れているもよう。

なぜにそのような話になっているのか、
よくよく聞けば、噂の出所は”義兄”らしいのだが…
[ 話は去年の秋までさかのぼる ]

故郷に住む姉から電話があり、
「ダンナが出張で東京に行くんだけど、一晩泊めて
  やってくれないかい?」と。

そして三日後にやってくる義兄のために布団を買いに行き、
(来客用の寝具なんて用意してなかったので)
軽く掃除をして、久しぶりに会う義兄を迎えたのでした。
うちに誰かが泊まりに来るなんて初めてだし、ちょっとワクワク。

近所の ちゃんこ屋で飲みながら、おおいに盛り上がる。
(二人で飲むのはこの時が初めて)
その後もコンビニでつまみを買い、部屋に戻ってからも
三時頃まで楽しく飲んでいた。
以外と話も合うし、いい人じゃんアニキ。

で、翌朝。
カフェオレを作り、二人で飲む。
そして、僕のいつもの朝飯も勧める。

「食べませんか~ ?」
そう、いつもの玄米フレークに牛乳をかけて♪
そしたらさ、

『い、いやぁ、、俺は、いいわぁぁ、、、』って、

なぜに そんなに嫌がるのだか、なぜに そんなに怪訝な顔をされるのか、?
「玄米フレークが嫌いなんだね」くらいに思っていたけど、その時はね。
[ そして故郷に戻った義兄は語ったらしい ]

『アイツ、”犬猫の餌” みたいなのしか食べてなかったよ。
 まともな食事、出来ないんじゃないか? やっぱり男の一人暮らしってのはさぁ・・・』

嗚呼、悲しきシリアル達よ、
こんなに栄養満点なのに、米どころの人達にはわからないんだよ。

今日の朝食ももちろん ”犬猫の餌、のようなもの” だったけど。
(イチゴ入り、スペシャル・バージョンで)


あれは 15年前の、

久しぶりの旅行計画は6月のツアーに参加する予定で、
静かに盛り上がっています。
個人旅行も検討してみましたが、なんだかんだ付け足していくと
高くなってしまうんですね、、、

やはり、いろんな所をお安くまわりたい、
そうなると、お得な格安ツアーが魅力的。

しかし、

申し込んだ後で、旅行に詳しい方にお尋ねしたら、

『この日程だと、ただひたすらにバスに乗ってますよー。ご覚悟を…』
とのアドバイス。

”ひたすらバス”の旅、ですか、、?

うっかり、見落としてました、
移動手段。

途端に心配、乗り物酔い。
バス、タクシー、車全般苦手な人はどうしたらいいの~?
申し込んだ後ですが、慌てて他社のツアープランを見てみたら、
どれも似たり寄ったりで、つまり「格安ツアー」=「ひたすらバスの旅」

<移動距離368キロ/約5時間>
<移動距離511キロ/約6時間>
<移動距離152キロ/約2.5時間>
<移動距離230キロ/約3.5時間> 
ってなに?  ・・・・・・  まだまだ乗るよ・・・

腹をくくって、トラベルミン1ダース持って行ってきます、
6月の、ひまわりが一面に咲き乱れるアンダルシアへ。
(バスの窓からひまわりを見る元気は残っているんだろうか ? 心配)


これは、初めてスペインに行った時の写真、
(土産物のTシャツに 市場の袋ぶらさげてる田舎者ですが)

数えたら15年前でした、バルセロナ・オリンピックの翌年のこと、
添乗員なしのツアーでかなり自由な旅行でした。
国内の移動も飛行機が多くて、早くてらくちん。
ただ国内線の飛行機は、座席が外れそうで怖かったな、
ガタガタ揺れて、シーベルトをしていても椅子ごと飛んで行きそうな、
そんな飛行機でしたが、早くて らくちんな移動でした。

大好きな国、スペインを思い出しながらアルバムをめくるも、
このアルバムも所々写真が抜けていて、寂しい感じ、、、


まぁ、誰にでも忘れてしまいたい記憶なんてものの
一つや二つあるわけで、
でも大好きな場所は忘れたくないので、
このアルバムの何倍もの感動を求めて、
行ってきます「エスパーニャ」
行ってきます「バスの旅」


ベランダ遊びの季節が。

ベランダ遊びの季節が近づいてきているのです。

暖かくなったら、ベランダで寝転んでビールを飲みながら、
好きな本を読んでみたり、
ただ ぼんやりと過ごしてみたり。

見上げれば、羽田から飛び立った いくつもの飛行機が、
空の向こうへ吸い込まれてゆく。

このマンションで一番好きな場所、『青空付きの部屋』
これからの季節は、また ここで過ごす時間が長くなりそうです。

花粉やら、黄砂やらの汚れを、デッキブラシでガシガシ落として
楽しい季節の準備です。

山の恵みとオヤジの健康

故郷から山菜が届いた。

恒例の ”春のたより” である、
毎年、この時期になると我が父親は山に行き、
こごみ やら、やまうど やら、いろいろな山菜を摘んでくる。
今は便利なもので、この山菜が『クール宅急便』で
とれたてのまま送られてくるのです。
食べ方としては、



茹でる。



てんぷらにする。
くらいしか出来ないんですけどね・・・

自然の香りと共に『春』をいただく、
東京に居ながらにして、故郷の山を感じる事ができる。
なんともいえない味わいですなぁ。


うちの父親も、今は元気に仕事をしているものの
過去に三度ほど大病をしており、「今夜が峠ですから、、、」と
親族が病院に集まって過ごしたこともあったっけ。

そんな父が、毎年春が来るのを待って山に行く。
仕事馬鹿で生きてきた父の、数少ない楽しみの一つなんですよね。
だから、この山菜には『父、この春も元気です』のメッセージが
込められているように感じるんです。
誰の手も借りずに ぐんぐんと育った天然物には、
力強い生命力が満ちていて、食べればたちまち元気になるよ。

来年も、再来年もそのまた先の、春が来るたびに
この山の幸を送って下され、オヤジ殿、
めったに帰らぬ道楽息子のために。

赤く染まる海。 黒子なオレ。

江ノ島からの帰り道、
せっかく来たんだから、浜辺を歩いてみないとね、
なんだか消化不良な気分。

潮風に吹かれながら、砂浜を散歩してみようか。
夕日に染まる海を眺めながら、ビールでのどを潤すのもいいかな。

そして七里ケ浜で途中下車、
見慣れた海が広がっている、まだ夕暮れには少し早い時刻。
でも、
海は、赤く染まっているよ。


ほら、
赤潮 大発生!

なんとも どんよりな風景ですね、
そして砂浜に”皮パン”で来てしまった「黒子」も、
まったくもって どんより~な存在か、、、
半径3メートルによどんだ空気を漂わせつつ、
ビール片手に、歩け、歩けーー。

ほれ、
赤潮にも負けず、こんなに爽やかなカップルも居るのにねぇ。

鎌倉散歩(つづけっ)

結局ですね、あの場所へ向かうんです。



鶴岡八幡宮まで辿り着き、

小町通りを抜け、



江の電に乗り、



降り立ったのは江ノ島駅、



竜宮城を横目に、
やっぱり、ここへ来てしまったんです、
なんてったって、年間パスポート会員ですから。


『 新江ノ島水族館 』

ここの展示が大好きだ。

ほら、ここにいる魚たち、
海洋生物というよりは、
食品。




前は、旬の魚とか、
美味しい食べ方が書いてあったような、、、?












『赤い長靴』 江國香織

赤い長靴/江國香織


これは結婚10年目の”日和子”と”逍三”の物語。

日和子はおとなしいけれどよく笑う女性、
ごく普通の主婦がそうするように、日々の出来事を
逍三に話して聞かせる。

逍三はぬうぼうとした電信柱のような男、
驚く程マイペースなのか、コミニュケーション能力に欠けるのか、
日和子の問いかけに答える事は少ない。

結婚して10年、子供のいない二人暮らし、
まわりの人から見れば、ごく普通に、幸せに暮らしている夫婦。
子供を持つ家庭から見れば むしろ、二人の時間を楽しんでいる
仲の良い夫婦に見えることだろう。

夫婦として同じ家で暮らし、二人で食事をして、
休みの日には揃って買い物や、旅行にも出掛ける。

それでも、お互いに知らないことも多いのだ。
夫は会社で誰と会い、どんなことを話しているのか、
妻は今日 何処へ行き、何を見ているのか…

別々に過ごす時間の中でこそ、相手のことを想う、
目の前にいるときよりも、むしろ冷静に、情熱的に。
江國香織さんの作品には独特な空気が流れていて
不思議な空間へと引き込まれていく感じがする。
夢の中の出来事のようなシュールな感覚、
それでいて、登場人物の心理描写は恐ろしく現実的だ。
時が止まったかのように静かに、淡々と、心の奥のある
”ちいさな波”が描かれて行く。

僕はこの作品を読みながら、著者自身の結婚生活を綴った
エッセイ集『いくつもの週末』の一説を思い出していた。

「 私たちは、いくつもの週末を一緒にすごして結婚した。
 いつも週末みたいな人生ならいいのに、と、心から想う。
 でもほんとうは知っているのだ。
 いつも週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。」
~ 今はまだ一緒にいる、いつか別れるときがくるまでは ~

そんな気配が ”江國作品”には流れているように思う。
あたりまえのように、ずっと一緒にいることも現実、
いつか確実に、別々の人生を歩むことも、また現実として受け止める。

矛盾する二つの感情をリアルに感じているからこそ、
普段気づくことのない”心の波”が見えて来るのかもしれない。
『赤い長靴』に象徴される、二人の絆と歪み。
最後には必ず辿り着く「ほんとうのこと」

日和子の言葉は逍三には伝わらない、
言葉は伝わらなくても、日和子の心は逍三に伝わっているのかも知れない。
何度も読み返すうちに、逍三のイメージが変わって行くから不思議だ。

~ 笑うことと泣くことは似ている ~

「どうしてあなたには言葉が通じないの?」
そう呟き、くすくすと笑いながら、
日和子はこの先も、逍三と暮らしていくのだろう。