”筋肉”が喜ぶデリプレート

「picasso」を見に行った帰りに、お腹がすいたので
六本木ヒルズで遅めのランチをとりました。
最近、六本木に行くと ついつい立ち寄ってしまうのがTOTAL Workout Cafe
ヒルズ族御用達のフィットネスクラブ「TOTAL Workout 」に併設されているCafeスペースで、
ここのデリプレートにハマっています。

高タンパク質、低脂肪、低糖質のお惣菜が10種類と玄米ご飯が乗ってボリューム満点。
しかも砂糖や油を一切使用していないらしい。
鶏肉、豚肉、ハムっぽいものなど肉類はしっかり入っているけど、脂身は一切使っていない感じ、
そしてひじき、豆類、イカ、野菜類がバランスよく並んでいて、ヘルシーなランチと言うよりは
『筋肉に効くランチ』という感じですね。

食べている間も、ガラス越しにトレーニングに励む人達が見えたりして、
パーソナルトレーナーをつけて、体力の限界に挑んでいるような姿もあったりして、
見ているだけで、とても身の引き締まる思いです、が、、

ボリューム満点のデリプレートのおかげで、
おなかは膨らむばかりです。

もうひとつの『picasso』展

先週の水曜日に『サントリー美術館』~「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展
に行ってきました。
先月は『国立新美術館』~愛と創造の軌跡」展に行ったので、
同時開催されている二つのピカソ展をようやく見る事ができました。
この二つの美術館、実は休館日がどちらも”火曜日”でして、
ワタクシの定休日が”毎週火曜日と第三水曜日”ということで、
月に一度、第三水曜日にしか行くチャンスがないのです、、、

『サントリー美術館』を訪れるのは初めてだったのですが、
作品はすべてガラス越しに見るかたちで、まあ、それは仕方ないとしても、
一部自然光が入り込んで反射して非常に見難かったなぁ、
そして、絵の横にある解説文の文字が小さくて読み辛いこと~
みんな近づいて読もうとするから、作品が見えません。

すっかり集中力を欠いてしまったせいか、
同じ「picasso」でも今回は感動の薄いものになってしまいました。

もうすぐクリスマスですね ?

¡Ya está cerca la Navidad!
¡Feliz Navidad! ¡Feliz Navidad!

En todo Japón ya las calles están adornadas con iluminaciones.
Pero, todavía estamos en noviembre.
Creo que todavá es pronto para las Navidades.

En pocas palabras palabra, a los japonéses les gustan las fiestas.

Bueno, tengo que preparar las Navidades para mi peluquería.

もうすぐクリスマスですね、
「メリークリスマス! メリークリスマース!」
日本中の通りがイルミネーションで飾られています。
でも、まだ11月なんですよね、
クリスマスにはまだ早いと思うんですけど。

ホントに、日本人はお祭り好きなんですね~

さてと、私の店もクリスマスのための準備をしなければいけません。

Pienso, luego existo. (Cogito ergo sum)我思うゆえに,

「来年は海外で生活しようと思ってます、」
先日、あるお客様からそんなお話を伺いながら色々と考えました、
将来の構想は人それぞれで「ああ、そういう生き方もありだよね、」
って思う事はまだまだ たくさんあるのですね。
世界的に経済が不安定になり、身近なところでも
リストラやボーナスのカット、残業による負担などの話題を耳にする事が
多くなっているような気がします。
正社員として働いている人でも、安定した生活をおくるためには
残業を余儀なくされ、会社と家との往復で一日のエネルギーを使い果たしてしまっているような
何か満たされない気持ちを抱いている人も少なくはないように思います。

もっと他のところに自分の居場所はあるんじゃないだろうか?
自分のための時間もなく、今のままの生活を続けていていいのだろうか?
いったい、何のために働いているんだろう…
そんな考えが頭を過ることはありませんか?

いったい自分は何処へ向かっているんだろうか、
自分の心が満たされるものは何だろう、それは何処にあるんだろうか?
そんなものは本当に存在するのか?
理想ばかりを追いかけて、現実の出来事、人や物の本質を見失ってはいないだろうか。

もっと突き詰めて考えていくと、、
今、自分の目に見えている世界は本物なんだろうか?というSF的な疑問が
ぼんやりと浮上してくるのです。

例えば、映画「マトリックス」のように現実の世界だと思っていたものが
実は仮想世界であるかもしれない… なんてことを言うと、
「頭、大丈夫?」と思われるでしょうね。
そこまで極端な発想には行き着かないとしても、
自分の思考は、現実の世界を正確に認識できているのだろうか?
ということは やはり頭のどこかにあります。
自分の目に映る物が、他の人に見えるものと同じなのか?
自分が「赤」と思っている色が、他の人が認識している「赤」(色の本質としての)
と同じなのか、違っているのかは確認のしようのない疑問。

そこに疑いを持っている自分が存在していることが、疑いの無い事実だとしても
そんなことは、日常ではたいした意味を持たないように思う。

そしてもうひとつは、物事に対する心の反応の精度の疑問。
人間は未来を想像することや、過去の出来事を記憶しておくことが出来るので、
目の前に広がる「三次元の世界」に時間軸を加えた「四次元の世界」を見ているとも考えられる。
今、目に映っている世界は、過去・現在・未来と止まる事なく進んで行く時空の一瞬一瞬を
スライスした断面を見ているようなもの、であって、
この断面というのは、その人の経験や思考によって微妙にずれるのではないだろうか?
もしくは歪むことがあるんじゃあないだろうか。

何か人生の岐路に直面したときに、人は自分の過去を振り返り、
未来を予測して、今自分の置かれた位置を確認する。
過去・現在・未来と続く「時間のチューブ」を、今という位置で輪切りにしてみる、
はたして、その切り口はシャープに切り取られているだろうか?
歪んでいたり、位置がずれていないだろうか?

また、その切り口から見える風景は時間軸が少し圧縮された形で、
ちょうど、ピカソのキュビスムの絵のように、いくつもの表情が一つの面に
折り重なるように見えてくるのではないかと思います。
そのいくつもの側面を客観的に見る事が、どこまで出来るのだろうか、、
「今」という断面の切り出し方によって、そこから続く未来は様々に変化して行くのだから、
今ここにいる「この私」と「10年後の私」は
やはり「私」には変わりないけれど、「10年後の私」は幾通りも存在する。
人が未来を想像するとき、心の中にこの四次元の世界は存在する、
そしてそこから続くパラレルワールドも。
思考が創り出す世界、心が創り出す四次元の世界は、
自分の理想の未来像も創り出す事ができる、
そして実現することも。
「思考は現実化する」ということは本当だと思います。
一方で、心が創り出す四次元の世界は、
簡単に現実の世界を歪ませてしまうことも…

さて、疑いの無い事実はどこにあるのでしょうね。

※タイトルとかなりズレてしまいましたね。コギト命題の話だと思われた方、ゴメンナサイ。

Voy a hacer las nuevas tarjetas de visita. 新しい名刺を作ろう!

先日、珍しく名刺交換をする機会がありまして、
(仕事上、名刺交換はサラリーマンの方よりも圧倒的に少ないと思います。)
あらためて自分の名刺を見てみたら、

なんだか、とても  ショボイ感じ。
白地に黒インクで、なんともビンボーくさい。

『私、こういうものですが、』
って人前に出したくなくなってきました。

なので、突然思いつきで新しい名刺を作る事にしました。
早速、店に戻ってパソコンでデザインを考えること2時間、
あまりコテコテは品が無くなるので、結局シンプルなレイアウトで、
そのかわりインクを、「盛り上がるタイプ」にしてみました。
(印刷は外注です、データ持ち込みで、)

来週出来上がってくる予定ですが、楽しみです。
なんとなく新しい服で出掛ける時のような、
そんな気分です。

今度はどんなデザインにしようかなー、と
もう次のモノを考えていたりして、、
面白い肩書きでも入れてみましょうか。

「ワタシハ、ウクライナ、カラ、ヤテキマシタ、」

「スミマセェン、コンニッチハ、」
  「スミマセェ~ン、コンニッチハ...」

        『あーー、はい、いらっしやいませ』

「ワタシハ、ウクライナ、カラ、ヤテキマシタ、」

        『は、はい、??』(どちら様でしょう?)

仕事の合間に奥で洗い物をしていたら、入り口のほうで誰かが呼んでいたので、
慌ててタオルで手を拭きながら出て行くと、
そこには、大きなリュックを背負った金髪の青年が、、、

「アー、、ワタシハ、ウクライナ、カラ、ヤテキマシタ、
 ニホンノブンカト、ブダニツイテ、ベンキョ、シテマス、」
        『あぁ、はい、はい。』(なんの御用でしょう?)

と、彼の背中とリュックの間から、
手作りのアクセサリーや民芸品が詰まった箱が出て来ました…

「コレハ、ワタシノ、クニノ、アクセサリー、デス!」
「ワタシノ、ベンキョ、ノ、タメニ、、オネガイシマァ~ス、」

なんと飛び込みの物売りでした、、
時々うちの店にも、雑貨の訪問販売や募金のお願いなんかもやってきます、
だいたいはすぐにお断りしているのですが、このウクライナの青年が
爽やかな笑顔でマトリョーシカなどを広げるものだから、
つい、乗せられて買ってしまいました。

一番小さい”マトリョーシカ・キーホルダー” ¥500也
時間があったので、少し話をしながら。

この青年、日本に来てから二十日位、
日本語の勉強は三ヶ月位だと言うことなんですけど、
頑張って日本語で話そうとしています。(偉いなぁ、、)
ひらがなは少し覚えたけど、漢字はまだダメらしい。

この寒空に、Tシャツ姿だったので
『寒くないの?』と尋ねると、
「ウクライナ、モット、トテモ、サムイデス、」と言っていました。
本当に仏教や日本の文化を学びに来たのかは、怪しいところだけど、
もしかしたら騙されているのかもしれないけど、
なんだか爽やかで気持ちのいい訪問者でした。

「シアワセ、ノ、オマモリ、デース」と手渡してくれたキーホルダー、

もしかして、

ホントに幸せになれるんじゃね?

He tenido varios visitantes cuando abría mi salón.
A veces no son mis clientes los que vienen.
Por ejemplo, viajantes ,vendedores ambulantes, peticiones de donativos, distribuidores ,etc.

Un día,en la entrada de mi salón se oyó una voz.

¡Buenas tardeees!
¡Oiga,por favooor!

Entonces yo estaba fregando unas tazas en el fondo del salón.
Yo le dije: ¡Bienvenido! ¿qué desea Ud.?

En la entrada, había un hombre joven rubio con una mochila al hombro.
El me dijo: ¡Hola! Vengo de Ucrania.

Estoy estudiando sobre el Budismo, el Zen y la cultura japonesa.

…..

Bueno…(mientras sacaba una caja de entre la mochila y la espalda.)
Éstos son unos objetos de arte de mi país, y son muy bonitos.
Creo que pueden atraer la buena suerte y evitar la mala.

Yo : ¡Qué pequeñito matryoshka!

Es un fetiche,¿verdad?

¿Cuánto cuesta?

El : ¡500 yenes por cada uno!

Tengo que vender estos para que continuar el estudio.
¿Puede Ud. comprar algunos?

Pienso que es muy caro, pero no sé por qué he comprado un fetiche por 500 yenes.

¿Me embaucó con sus palabras?
Pero, puede que traiga alguna felicidad,¿eh?

三ヶ月で九歳老け込みました。

ひろみが、相変わらずはりきってる。

”アチチ”な53歳が体内年齢を計っていたので、
久しぶりに体組織計に乗ってみました。

最近は運動もサボりぎみだったんですけど、
まぁ、大丈夫だろうと、
そんなに変わってないだろうと思っていましてね、、、

四ヶ月前↓

                                三ヶ月前↓

今↓

あ、三ヶ月で『9歳』老け込みました、どうもありがとう♪

ひろみに対抗して、「実年齢 - 25歳」を目指します、
(永遠のアイドルに対抗意識燃やしてどうすんだ、っちゅう話ですが、)

目指せ永遠の17歳、今度こそ!

           
             半分以下?  Hiromi Go- 53歳、、?