秘蔵おバカ記事から見る成長の度合い

ヤフーブログには非公開っていう設定がありますね、
実はこのブログ、非公開記事あり、です。
内緒というよりは、書いてみたけど、あまりにもくだらない
とか、
違う場所で書いたものの保存とか、
そんな感じで非公開扱い。

消してしまえばいいんだけど、くだらなすぎる文章も
その時の自分が書いたもの。
過去の自分の考え方が表れているのだと思うので、
自分だけの雑記帳として保存しています。

過去の自分が、少し先の未来を想像しながら書いた言葉を、
今の自分が読む。
「ばっかじゃねーの、このオッサン!」
などと自分の書いた文章に、つっこみを入れらるようになったら、
少しは自分も成長している証拠かも ?

そんなことを思いつつ、読み返すお馬鹿な文章のなかに
今でも同じように思うことを見つけたりで、

つまりは成長してないってことか…

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「おととい来やがれ!」を考える   (2006/10/3)
「おととい来やがれ、この 、スットコドッコイ!」

安っぽい時代劇くらいですよね、
こんなセリフ、普段聞いた事はありませんが。
でも、なんだか粋じゃあないですか、好きなんだなぁ こういうの。

おととい来い、と言うことは二度と来るな、ということだと思うのですが、
もし、
もしもですよ、、一昨日に戻って、会いに行くことが出来たなら、
どうなるか。

初対面で、第一印象苦手なタイプと思った相手でも、
急に「あれ?前にどこかでお会いしましたっけ?」となる。
苦手意識は無くなり、親近感すら湧いて来る。
もしも、一昨日に行けたなら苦手な相手とも仲良く出来るのだ。

(ここまで書いていて、たぶん伝わらないだろうなぁと思っている、)
けど、続く。

実際に過去へ戻ることは出来ない、が、
共感を呼ぶ過去を、演出することは出来る。

少し前に 昭和30年代の雰囲気を再現したテーマパークが
話題になった、あれはまさに、共感を演出して成功した良い例だろう。
テーマパークの駄菓子屋にオバアちゃんが座っていたとしても、
そのオバアちゃんは自分が子供の頃にいたお婆ちゃんとは別人だ、
それでも親しげに話かけるだろう。

自分の生きて来た時代を知っている、それだけで初対面の緊張感は少なくなる。
これが遠い昔ではなく、つい最近の、一昨日位の共感だったらどうだろう、
初対面ではないような感覚になるかもしれない。
この「初対面のような気がしませんね~」を
自分の仕事に落とし込めないかと、ある意味 ニッチな事を
考えているのですよ、「おととい来やがれ!」から・・・

ブログというものも、
会ったことの無い人と文字で会話をしているようなもの、
ブログの中の”過去”も読める、
もしかしたら
お互いの「おととい」に来ちゃっているのかも、しれないですね。