ヴィダル・サスーン Vidal Sassoon

ヴィダル・サスーン Vidal Sassoon


1928年、ヴィダル・サスーンはユダヤ系イギリス人としてロンドンの下町イーストエンドに生まれました。母親はスパニッシュ・ダンサー兼歌手。父親はカーペットを売買する商売人でしたが、ヴィダルが4歳の頃に父親が蒸発したため、生活苦からヴィダルは5歳から11歳までの6年間をユダヤ教会の孤児院で過ごしたのです。

 

14歳の時に、当時イーストエンドでナンバーワンだった美容師アドルフ・コーエンの元へ弟子入り、美容界に足を踏み入れます。しかし、美容師になることは彼自身が
望んだ事ではなく、母親から無理矢理に放り込まれたもので、アシスタント時代の
ヴィダル・サスーンは仕事が嫌いで嫌いで仕方がなかったようです。

1948年イスラエル国防軍に参加。

帰還後は有名美容師レイモンドに弟子入りして修行を積み、1954年、
26歳でボンドストリートに自分のサロンをオープンしました。
当時当たり前だったカーラーを巻き、スプレーで固めたヘアに疑問を感じた
ヴィダルは、ヘアカットだけでおさまり、揺れ動いても自然に元に戻る方法を
模索し始めます。

 

1963年には、当時の有名女優“ナンシー・クワン”の長い髪をバッサリ切って
ショートボブにしてしまいます。髪の動きを見極め正確に緻密にカットされたボブは、頭をふってもピタリと元の位置に戻りました。これが最初のグラデーションボブの誕生です。ナンシー・クワンの写真はVOGUEの表紙を飾り、ヴィダル・サスーンの名を一躍有名にしたのです。

ヴィダルが骨格に合わせて髪をハサミで彫刻を彫るようにカットする方法(ジオメトリックカット)を完成させたことで、美容の世界はまったく新しい時代へと進み始めました。それは「スインギング・ヘア= 揺れ動く髪」と呼ばれ、それまでの常識だった髪をセットをしてヘアスプレーで固める煩わしさから女性達を解放したのです。

「戦後」が終わり、若い世代の価値観が変化し、世界のカルチャー、ファッション、アート、あらゆるものが一気に花開いた時代 “The Swinging 60’s” その中心地”Swinging London”でヴィダル・サスーンのジオメトリックカットは女性達を新しい時代へと解放したのです。

 

ヴィダル・サスーンはインタビューの中で語っています
『言うまでもなく、カット前に顔を分析し、
骨格を知り、骨の高さを研究することで、
どの角度から見ても盲点がないカットを徹底するんだよ。
ヘアカットはお客をイスに座らせてチョキチョキすることじゃない。
その人の骨格を研究することなんだ』

※現在、Vidal Sassoonの直営サロンは日本には存在しません。
イギリス、アメリカ、カナダ、ドイツのみで展開しています。
http://www.sassoon-salon.com/en/salon/uk/salons