自由が丘の歴史1

自由が丘

”お洒落なイメージを醸し出すショッピング街と閑静な住宅街が共存する街”そんな街並みにいかにもふさわしい ”自由が丘”という地名。さて、自由が丘という街はいつ頃生まれたのかと調べてみるとその由来は東急東横線・大井町線が開通した昭和初期にさかのぼるようです。

昭和2年8月、江戸時代以来「谷畑(やばた)」の名で呼ばれる近郊農村であったこの地域(現在の自由が丘、緑が丘)に、東横線が開通しました。この地には9体の阿弥陀如来像が安置されている寺があることから、開業した駅は九品仏駅(現在は隣り駅の名)と名付けられました。

それ以後、のどかな田園地帯であったこの辺りに、にわかに商店や住宅が建ち始め同年11月には大根畑の丘の上に、手塚岸衛氏が自由教育を旗印に創立した「自由ヶ丘学園」が建設されました。これが自由が丘の地名の発端となったということです。

昭和4年になると、大井町線が大岡山から二子玉川まで延長されるに際して
「九品仏駅」が大井町線上の実際の寺の表参道口に設けられることになり、
駅名を改称する必要が出て来たのです。電鉄側では既に新駅名を「衾ふすま駅」
と内定していましたが、舞踊家の石井漠などの周辺に住んでいた文化人達の
強い運動によって、大井町線開通の直前に「自由ヶ丘」を駅名として採用することになったそうです。

以後、駅周辺に移住してきた人たちは郵便物に「自由ヶ丘駅前O番地」と書くようになり「自由ヶ丘」は次第に地名として定着し、昭和7年6月、耕地整理組合の努力もあって町名として正式に認可され、同年10月の区制施行による町名整備を待たずに「碑衾町大字自由ヶ丘」として新地名がスタートしたのでした。私鉄沿線では、宅地開発のために鉄道会社主導で「○○が丘」という駅名や地名をつくることは多いようですが、住民運動でつけられたものは珍しいのだそうです。

なお、町名「自由ヶ丘」が「自由が丘」に改められたのは、昭和40年1月1日の住居表示実施の際。駅名が同様に改められたのは、翌年1月のこと。

ところで、自由が丘(駅周辺)って丘じゃないですよね。

駅周辺は、戦前に衾沼と言う沼地を埋め立てて造成された土地なので ”丘”と言う地名でありながら、周辺と比較して低地となっているのです……。

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