恒夫はどうしているのだろう?

「ジョゼと虎と魚たち」を久しぶりに読み返しています。
その後の二人の展開はどうなるのだろうか、と 思いながら。

ジョゼは足が悪く、家と施設の往復だけの生活で世間を知らない。
知っている事といえば活字やテレビで見聞きした知識ばかりだ。

たまたま知り合った恒夫だけが外の風を運んでくる、
やがて二人はお互いに愛しい存在となるが、いつか別れが来ることを
ジョゼは知っている、無意識のうちに感じとって「それもまた良しや、」と。

二人で居る時、それは喜びも不安も越えた安堵感に満たされているのだろう。
ジョゼは、幸せを考える時、「アタイたちは死んだモン」になった、と表現する、

「完全無欠な幸福は、死そのもの」

映画版のラストでは、恒夫はジョゼの元から去って行くが、
その理由としての「僕が、逃げた」という台詞と、
大泣きする恒夫の姿は、少し安易な表現のように思う。

しかしながら、やはり恒夫は去って行くのだろう、
逃げた、のではなく自分というものを生きるために。

agapeとerosとの狭間で行き場を失った二人の心は、
いずれ離れて行かなければいけないのだろう。
寂しさと不安をそのままに受け止めて、「それもまた良しや、」
と、ジョゼは今日も生きているのだろう。

あれから、

恒夫は、どうしているのかなぁ。

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(フランソワーズ・サガン 『一年ののち』 より引用)

「いつか貴女はあの男を愛さなくなるだろう」とベルナールは静かに言った。

「そして、いつか僕もまた貴女を愛さなくなるだろう。我々はまたもや孤独になる。
 それでも同じことなのだ。そこに、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ…。」

「ええ、解っているわ」とジョゼが言った。